mmmemo

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少なくとも Google サジェストを使っている間は変換前の読みデータを収集して使っているのは確実。確定前の読み入力中の段階で、どんどん先読みして候補を出してくれる、っていうのが Google サジェストの発表時からの売りですからね(当時の記事参照)。

ユーザーが「かな」をどういう文脈の時にどういう漢字に変換するかという膨大な統計データを使うということはすばらしいと思うのだけど、そこでユーザーが入力したかな文字列と変換後の漢字文字列のセットは、実はユーザーが使っているかな漢字変換機能の辞書が吐き出したものなんですね。つまり、ユーザーを介して、間接的に他社のかな漢字変換の辞書の内容の一部を「ぶっこ抜いて」いるわけですわ。

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半年ほど前にWSJの記事が,米国の職業ブロガーが45万人を上回ったと伝えていた。その時はブロガーで生計を立てている人がそんなに多くいるとは,とても信じられなかったのだが・・・。これはTechnoratiやeMrketerの調査データをもとにはじきだした数字である。

だが,米国のサイトを見てまわっていると,ブロガーが確かに専門職として定着してきているようだ。商業のブログパブリッシャーが根付いてきたこともあるし,ジャーナリストやフリーランサーからブロガーへの転向がかなり増えてきている。米国では特定のテーマに絞ったエッジの利いたサイトが多いが,そこでも職業ブロガーが活躍している。

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kashino:

Einstein’s General Theory of Relativity | Lecture 1 (via StanfordUniversity)

今、あなたが物理学科の三年生だとして、大学の講義に幻滅していて、だけど知的好奇心たっぷりで、英語がちょっとできる系で、そして一般相対性理論をきちんと勉強したいと思っているなら、絶対的におすすめするのが、このLeonard SusskindのStanford大の一般相対論の講義である。

宇宙論、量子重力の権威であり、一般相対論を味わい尽くしたSusskind老師が手取り足取り丁寧に伝える名講義である。

これが無料ですよ。見放題。BeeTVとかNHKオンデマンドとかに金だして見ている場合じゃないということですよ。

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 「どの画面にも何でも出せるようになる」などと書くと、「エンドウさん、あなたは業界というものを分かっていない」とか、「それで仕事をしているのではないから仕方がないですね」とか言われそうだ。しかし、すべての画面で何でも出せるようになるということを、象徴するようなことがいま起こっている。ゲームのプラットフォームがそれだ。

 歴史的には、最初はゲーム機やアーケード機が中心で、次にPCも入ってきて、10年ほど前に携帯電話が加わった。そこにいま、iPhoneが加わり、ソーシャル・ゲームが出てきて、馬鹿げたほどの勢いで伸びている。つまり、いままでゲーム画面ではなかったところが、ゲーム画面になってきている。

 単純に、iPhoneとiPod toutchを合わせて5000万台のプラットフォームだ、というような議論ではない。重要なのは、iPhoneやソーシャル・ゲームでは、ゲームの提供プロセスが変わったということだ。実のところ、いま我々のまわりにある「画面」の裏側には、ゲームくらいは十分処理できるシステムがついている。かつてはゲームパッケージという配布手段しかなかったが、App StoreやSNSによって、「この画面でもやれるじゃん」ということになったのが、いまなのだ。

 ソーシャル・アプリケーションは、2007年に、Facebookがそのプラットフォーム化を宣言したことで始まった。当時、感度の高い複数のユーザーから、「Friend For Saleやらないの?」と同時に言われたのを覚えている。それは、ユーザーを売り買いしてペットにできるというゲームで、ペットをほかの人のペットと遊ばせたりもできるものだった。しかし、現在の異常とも思える盛り上がりは、今年に入ってからのものである。

 日本では2009年8月に、ミクシィが「ミクシィ・アプリ」の環境を提供開始。ゲームに関しては、当初は「グラウジウス」や「テトリス」などが提供されたが、農場ゲーム『サンシャイン牧場』が、またたく間に300万人のユーザーを獲得して注目されている(現在も伸び続けている)。

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 世界に5台のコンピュータ(正確にはクラウド)しかいらないような環境では、ほとんどの処理はクラウド側のサーバがやってしまう。ユーザー側のOSでは、ブラウザさえ動けばいいわけだ。

 その結果として訪れるのが、「ディスプレイ時代」ともいうべきものだ。PC、モバイル、携帯から始まって、デジタルサイネージから、映画、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)、RID(網膜操作ディスプレイ)まで。いままで、およそ別の世界のものと思われていたさまざまな「画面」が、1つの共通のプラットフォームに近づいていく可能性がある。

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あらゆるデバイスは、ただの「画面」になるということだ。そのときに、最も重要になる技術が、ブラウザだといえる。これを最も意識しているのが「Chrome」であり、「Chrome OS」なのではないかと思う。
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* コミュニケーションの参加形式が〈受信者/発信者〉だけであるはずはない(常識的に考えて)。

それだけでなく、

* コミュニケーションの参加形式は、コミュニケーション論にとっての 大問題であり、分析の中で解明されるべき事柄であるはずなのに、
* にもかかわらず、特定の参加形式(それも二つだけ)を前提にしてモデルをつくってしまうなら、参加形式のほうは分析できなくなってしまう****!

・・・というわけなので、ルーマンの コミュニケーションの〈情報|発信|理解〉-モデル なるものは コミュニケーションの分析のためには相応しくない・使えないモデルだと考える次第なのであった。

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yanoz:

seepassyouagain:

情報系の大学院生やポスドクに回ってくる非常勤の授業はほとんどが実習で、要するにPCの使い方やネットワークの組み方を教えるんだけれども、ときどき講義も担当する。
講義をすると、受講生は、
「実習はすぐ役に立つし就職にも必要だと思うけど、講義はぶっちゃけ何の意味があるのかわかんない」
と言う。
意味がわかんないのに教職や必修単位の都合で受講しなければならないわけで、あんまりやる気が出ないのも困るから、やる気の出る理屈をつけてくれということだろう。

そう言われても、人文学部出身の私が担当する情報論は、実際、就職の役に立たない。
PCスキルは多くの企業が採用の前提としているだろうし、Linuxが少しできればSEとして雇ってもらえるかもしれない。
でもマクルーハンやベンヤミンの議論を理解したところで、何かを生産できるわけではない。クーンやファイヤアーベントの言うことが頭に入っていたって、企業の採用担当が興味を持ってくれるわけではない(たぶん)。

だから、「世の中には、直接的に生産に結びつく学問と、世界の成り立ちを知って納得するのに役立つ学問があって、この講義は後者なんです」と説明した。
ほんとうは「世の中には、すぐ飯の種になる知識やノウハウと、ぼーっとものを考えるためのお話があって」と言いたかったんだけど、少し格好をつけた。

世界の成り立ちとかどうでもいい、就職に使える実習のほうが大事だ、という考えもよくわかる。
二十歳の頃から真剣に生き残りを考えているという証拠でもあって、真面目できちんとした若者であるなあと思う。

しかし、ものごとを解釈し、自分なりに世界の成り立ちをとらえる力は、就職以前に、生きる上で、わりと直接的に役に立つものだとも思う。
できごとは、断片として体験するだけでは済まない。自分の人生というストーリィに組み込まれてはじめて、経験として機能する。
要するに、納得できないと、人は苦しい。
だからみんなお話を求め、作る。目の前のできごとを理解するための枠組みのようなものを。

私たちはときどき、手持ちの枠組みをちょっといじるくらいでは人生に組み込めないような大きな出来事や、新しいタイプの出来事に遭遇する。
そういうとき、練り上げられた解釈をいくつも咀嚼した経験のある人間は、わりと強い。自分が生きるのに適した、オリジナルの枠組みを作ることができる。そこまでの必要がなくても、適切な解釈を組み合わせればいろいろなことが納得できて、ラクになる。あるいは努力しやすくなる。
組み合わせに便利で作成に参加できる枠組みが科学を含む学問、単品でも機能しやすい枠組みが宗教だ。おおかたの学生は宗教を持っていないし、信仰があっても、それだけではどうにもならない場面もあるだろう。

そんなわけで、就職に役立たない講義があるのは、良いことだと思う。
一人で本を読んだり話相手を見つけたりしてものごとを解釈するのは、性格によってはけっこうしんどい(性格によっては楽しい。ただ、楽しいからといってそればかりしているのも困りものではある。私も自分で困っている)。
大学に籍があるなら、講義というかたちで先人の洗練された解釈を受け取っておくのは、損なことではないと思う。

ものごとの解釈をする訓練をしないとどうなるかというと、世界観が比較的単純になる。なかにはとても単純な解釈しか持たずに生きる人も出てくる。
それの何がいけないのかというと、食い物にされる危険性が上がる。
訓練なしで飲みこみやすいお話の極北は、霊能者がお祓いできる悪霊であったり、壺を買えば改善される運勢であったり、「気づいた人から成功する」マルチ商法であったり、するからだ。
その種の商売人は、人々がわかりやすい物語を必要としている様子をくんくんとかぎつけてやってくる。たとえば大きな不幸に遭って呆然としている人や、漠然とした不満が心の中でぐつぐつ煮えている人のところに。

もっと悪い事態は、「私が不幸なのはあいつらがいるせいだ。だから殺す」という、粗雑なストーリィを作ってしまうことだ。
この場合、不遇や孤独が人を殺させるのではない。
不遇や孤独の原因を全面的に他人の存在に付与する世界観の貧困さが、人を殺させる。

とはいえ、受講生に「就職の役に立たないことをぐちゃぐちゃ考えると、変な商売にお金を巻き上げられたり、変な理由で人を殺したりしにくくなると思うのです」とも言えないので、私は「うーん、ちょっとはおもしろいかもしれないから、聞いてみてください」と言う。

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それで前のエントリーの「劣化コピーしか置いてないし遅いし」と書いたわけです。さらには得たいものがあるなら現場に行くのが基本なので、じゃあそれを仕掛けてるひととメシでも食いに行ったほうがよほど沢山得られるものがあるわけで、そういう意味で、いしたにさんはいつもバランス感覚いいよなと映るわけです。というのが前のエントリーで書いてたこと。

続・なぜtumblr使わないか分かった - webdog

うわ!こんなことも書かれていた!

(via mitaimon)

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しかしtumblr使いとしても有名ないしたにさんは、あれでなかなかリア充なことばかりブログに書いてるので、そこのバランス感覚がよくないとやっぱりtumblrのようなツールに使われるだけになってしまうんじゃないかと思うんだ。

なぜtumblr使わないか分かった - webdog

こんなこと書かれているの!今、気づいた!

(via mitaimon)

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mixiアプリだって「日記書かなくても良い状態」でコミュニケーションを取れることが大きな強みであり、tumblrのreblogといい、はてなブックマークといい、時代は「自分からアウトプットしなくても、他人がアウトプットしたものを適当にいじるだけで、なんか表現できたような気になるサービス」を必要としているのではないのか。
permalink proto-jp:

konishiroku:

子どもがだまされにくい理由:「エビングハウス錯視」研究 | WIRED VISION
錯視の起こしやすさに子どもと大人で差がある、というこの研究結果は、視覚を部分で捉えず、視覚全体を文脈として把握しようとする脳の能力がゆっくりと発達するものであることを示唆していると、スコットランドにあるスターリング大学の心理学者、Martin Doherty氏らの研究チームは述べている。同チームは、『Developmental Science』誌オンライン版に11月12日付けで発表した研究論文の中で、成人が持つ視覚的文脈への感受性は、10歳の子どもでもまだ完全には備わっていない、と結論付けている。

proto-jp:

konishiroku:

子どもがだまされにくい理由:「エビングハウス錯視」研究 | WIRED VISION

錯視の起こしやすさに子どもと大人で差がある、というこの研究結果は、視覚を部分で捉えず、視覚全体を文脈として把握しようとする脳の能力がゆっくりと発達するものであることを示唆していると、スコットランドにあるスターリング大学の心理学者、Martin Doherty氏らの研究チームは述べている。同チームは、『Developmental Science』誌オンライン版に11月12日付けで発表した研究論文の中で、成人が持つ視覚的文脈への感受性は、10歳の子どもでもまだ完全には備わっていない、と結論付けている。

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「自分」以外に写真を撮り続ける基準を持たない写真家の強みと弱みが、そこにははっきりとあらわれている。その不安定感が、佐内の写真の持ち味でもあるのだが、もう少しなんとかならないかとも思ってしまう。自己完結することなく、他者や社会とも風通しよく繋がっていくようなシステムを写真に導入することができれば、彼は「この時代」を体現し、代表するいい写真家になると思うのだが、それができないのがなんとももどかしい。このままでは、センスのいいインディーズ・バンドで終わってしまうだろう。それでいいのだろうか。